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だれのもの?
それは、とても気持ちの良い昼下がりだった。
空はどこまでも青く澄んでいて、日差しはぽかぽかと暖かい。 風は優しく身体を包み込み、去り際に少しだけ悪戯してチェリンカの髪を日の光に晒してきらきらと輝かせていく。
風に舞い上がった髪を押さえ込んで、チェリンカは何度目かのため息を吐いた。感じる気持ちよさとは裏腹に、チェリンカの心はさっきからどんよりと沈んでいる。
ベンチに腰掛け自分の足を支えに頬杖をつきながら、ちらりと石畳の向う側に構えられている店を見る。 店先ではセルキーの店主に捕まったユーリィが、相変わらずいつ尽きるともしれぬ話に耳を傾けていて、まだまだ解放される気配はない。
視線を足下に戻し、チェリンカはもう一度ため息を吐いた。
幼い頃からあの店の店主はユーリィのことをかなり気に入っていて、いつも前を通るだけで何か理由をつけては呼び止められた。それがここ最近、ひどくなってきている気がする。
一度捕まったら、今みたいに教会の鐘が一つ多く鳴っても放して貰えない事だってある。でも、ユーリィはいつも文句ひとつ言わずにこにこしながら店主の長話に付き合っている。 もしかしたらチェリンカの知らない空白の歳月に、二人の間に何かあったのかもしれないが、ユーリィが話してくれないのでよくわからない。
待ちぼうけをくらいながら、チェリンカは視界から二人の姿を消すために空を見上げた。採寸を取っているのだろうが、彼女がやたらとユーリィの身体にべたべた触る様子をじっくり眺めていたくなどない。
ユーリィが解放されるまで自由行動をとるのがここ最近の了解で、ナッシュやアルハナーレムたちは思い思いに散策だとか買い物だとかに出かけている。
「わたしも行けばよかったかな」
そんな気分にはなれなかったのでついて行かなかったが、街を歩き回った方が気分転換になったかもしれない。
そう独りごちるチェリンカに、背後から唐突に耳慣れた声が掛かる。
「なんだ。まだ捕まってるのか」
「ナッシュ!」
気配無くベンチの背もたれから身を乗り出してきた彼に、チェリンカは声を上げた。突然の登場に驚いた心臓がドクンと強く脈打つ。
どこで手に入れたのか片手で弄んでいたしましまリンゴにかぶりつき、チェリンカの視線に気付くと食うか?とかじりかけのリンゴを突き出してくる。
「レディに食べかけを渡すなんて、どんな根性してやがるんですか! マナー違反もいいとこなのです。恥を知りやがれですよ!」
ナッシュの歯形に戸惑っていると、ミースの声が助け船のようにやってきた。
振り向くと買い物を終えたアルハナーレムと共にベンチへ近付いてくる。
「ユーリィはまだなのですか。一度ユーリィにもレディに対する心得を教えた方がいいのですー」
そして、向う側に見えるユーリィの背中とチェリンカの顔とを交互に眺めて腰に手をあてる。
あまり見ることのない先生ぶったミースの態度にチェリンカは微笑んだ。
「お手柔らかにね」
言いながら、またちらりとユーリィの様子を覗う。みんなが集まってきたのなら、その気配に切り上げてくれるかな?と僅かに期待したのだが、どうやらその願いは叶わないらしい。
「気になるのであれば、チェリンカも行けばいいのである」
ユーリィの肩に触れた手に、思わず拳を握りしめたのを見られてしまったのだろうか。アルハナーレムが優しい声でチェリンカに話しかけてくる。
「ううん、我慢する」
その声にチェリンカはゆっくりと首を振った。
「だって、私はユーリィのものだけど、ユーリィは私のものじゃないもの」
「チェリンカはユーリィのものなのか?」
アルハナーレムが言葉を返してくるより先に、隣のナッシュが反応した。
「え、ええ」
「どうして?」
耳元で大きく響いた声にびっくりしながら頷くと、顔を顰めながらなおも追及してくる。
「だって双子だもの。それに私が心を失っている間、ずっとユーリィを縛り付けたし迷惑をかけたわ。だからもうユーリィを縛り付けたくないし、今度は私がユーリィの役に立ちたいの」
説明してもナッシュの苦虫をかみつぶしたような顔は治まらない。
「ずっとか?」
「う、うん」
頷くと、何故かふてくされてそっぽを向いてしまった。
「ユーリィがそれを望んでいても――であるか?」
顔を背けたナッシュの代わりに、今度はアルハナーレムが問いかけてくる。アルハナーレムの顔は仮面に覆われていてチェリンカは素顔を見たことはないが、向けられる視線がいつも優しいものであるということは確信が持てていた。でも、何故だろう。ナッシュのように非難めいた声で語りかけてくるわけではないのに、今はその視線に困惑の色が混じっているように思える。
「ユーリィが望む……って、私に束縛されることを?」
言葉の意図を測りかねて問い返すと、アルハナーレムはゆっくりと頷いた。
「突き詰めるならば、そういうことであるな」
「それは――」
チェリンカは言葉に詰まった。ユーリィが束縛されることを望んでいるなんて考えたこともなかった。
心を取り戻してからユーリィに対しずっと抱いているのは罪悪感だった。自分が力の代償という都合の良い建前に哀しみから目を逸らしている間、彼は独りそれと向き合わなければならなかったのだ。反応などしない自分の世話をしながら。 そう思うと彼の作った不格好な父の墓の前で涙を流すことすら、資格がない気がして出来なかった。
「ユーリィは、多分……」
言葉を探して視線を彷徨わせる。と、そっぽを向いていたはずのナッシュがじっとこちらを見つめていることに気付いた。
「――――――」
真っ赤な双眸が射るように真っ直ぐチェリンカを覗き込んでくる。
「――――――」
赤い瞳に心がざわめいて、チェリンカは思わず視線を逸らした。 ナッシュに見つめられていると思うと、どうしてだろう、ひどく落ち着かない気持ちになる。
逸らした視線の先で、また店主がユーリィに執拗に迫っているのが見えた。けれど、今はそれよりもナッシュの視線が気になって仕方がない。
「わ、わたし、やっぱりちょっと行ってくる!」
あれほどユーリィの邪魔はしたくないと思っていたのに、弾かれるようにチェリンカは立ち上がった。
そして、ユーリィたちに向けて走り出す。
「もう、いい加減にしてよね!」
そう言って声を上げたが、自分の耳には言い訳じみて響いた。
ナッシュの視線が怖くて、後ろは振り向けなかった。
*
「行ってしまったであるな」
「チェリンカには頑張って欲しいのですー」
チェリンカの背中を見送りながら呟くと、隣で荷物を持ったまま飛び跳ねミースが答えた。
「年増なんぞの手にユーリィを渡してなるものかなのです」
数年ぶりに再会したばかりだが、相変わらずの毒舌である。彼女の他にも道具屋を営むリルティの店主などが同じ口調で話しているのをしばしば耳にするので、種族の特徴なのかもしれない。
「気になるのであれば、それこそミース自身が行くべきである」
他力本願を窘めると、わかってないのですとミースはピンと立てた指を振ってみせる。
「いい女というものは、何も言わずにただひたすら待ち、帰ってきたところを優しく受け止めるのですよ。そうして心をキャッチあんどリリースなのですー」
それでは戻っていってしまうのではないかと思ったが、口にすると更に倍の反論が返ってきそうなのでアルハナーレムは黙り込んだ。
「おれ、わからない。知らないけど、双子はああなのか?」
チェリンカが座っていたベンチにどかりと腰を下ろして、ナッシュが低く唸る。
「大抵の双子はああであると思うのであるが、とりわけユーリィとチェリンカは絆が強いのであるかもしれないのであるな」
答えると、ナッシュは不機嫌そうに息を吐き出した。
「双子に会ったの、ユーリィとチェリンカが初めて」
だからわからないということであるか――。渋面のナッシュに、アルハナーレムは小さく頷いた。
「もういい。オレ知らない」
ナッシュはしばらくの間、ユーリィを庇うように立ちはだかり店主と言い合うチェリンカを眺めていたが、やがて苛立ちのままに頭を掻きむしりそう吐き捨てた。
そしてしかめ面をますますしかめ、拗ねたようにベンチに寝転がる。
「諦めてしまえばもう、"ソレ"は永遠に手に入らないのである」
「……………………」
「欲しければ挫けず立ち向かっていかねば、真実というのは手の中からするりと逃れてしまうのであるな」
アルハナーレムが淡々と語りかける言葉に、ナッシュはそっぽを向いたまま無言で耳を傾けていた。
聴者がいることに気をよくして、アルハナーレムは続ける。
「そうやって先人たちは知識を追究してきたので――」
「やっぱり、オレ行ってくる」
その声を遮り、ナッシュは唐突に身体を起こした。そして、反応が返ってくるのを待たずに、チェリンカたちの元へと走り出す。
「行ってしまったのである」
「青い春とか言う奴なのですー」
その背中をチェリンカの時と同様に茫然と見送ると、同じようにミースがぴょんと飛び跳ねた。
「しかしであるな。人の言葉は最後まで聞くものである」
「野暮なこと言ってやがるんじゃないのですよ」
誰もいなくなったベンチに腰掛けため息を吐くと、隣に腰掛けたミースがアルハナーレムを見上げてきてにっこりと笑った。笑顔だけはいつも純粋に見える。
「ナッシュはチェリンカが好きなのであるかな」
何故かチェリンカと言い合っていた店主を庇うように立ち、代わりにチェリンカと言い合いを始めたナッシュを眺めながら呟く。それに、当たり前なのですとミースが頷いた。
「チェリンカはアーチェス様そっくりなのです。それにミースが手塩をかけて育てているのですよ? 大きくなったらアーチェス様よりももっと美人になって、チェリンカに惚れない野郎などいるわけなくなるのです」
一部不安要素が混じった気がしたが、それは気にしないことにする。
「しかし、ナッシュは何やってやがるのです。てめぇがチェリンカと言い合いしても仕方ないのですー」
「気持ちを制御できないのである。つまり、思春期という奴であるな」
答えると、ケッ!青いのですとか毒づくミースの声が聞こえてくる。やはりチェリンカの将来に一抹の不安を覚える。
「でも、そうであるか。ナッシュはチェリンカが好きなのであるか」
その不安を頭の外に追いやって、アルハナーレムはもう一度繰り返した。
「時は流れていくのであるなあ」
小さかったラトフはユーリィとチェリンカの親となりその命を終えた。その子供のチェリンカもやがて恋を覚え、そしてラトフと同じようにアルハナーレムを置いていくのだろう。
「何じじむさい事をいってやがるのですか。変化を恐れるなんて老いやがったのですか、アルハナーレム」
「かもしれないのである」
感傷のままに頷くと、反論が返ってこなかったからかミースが目を丸くした。 それから、何故かちょっと不服そうに頬を膨らませてアルハナーレムから視線を逸らす。
「変化を恐れるのは、そのまま未来を否定することなのです。未来があるからミースたちはユーリィやチェリンカに会えたのです」
「そうで……あるな」
確かに、とアルハナーレムは頷いた。
「やがて、ユーリィもチェリンカもミースたちを置いていくのかもしれないですが、ラトフ様の時と同じようにユーリィやチェリンカの子供たちをミースたちに残していってくれるのです。その子たちと出会ってミースたちは未来を否定しなくてよかったと思うのですよ」
「その通りである」
普段はおちゃらけていることが多いが、同じように寿命の長い友人はアルハナーレムよりも先に苦悩し、とっくに答えを見つけていたようである。
頷き、アルハナーレムは青く澄み渡った空を見上げた。
そうやって寂しさも喜びも全て引き連れて時は流れるのだとしても、もうしばらくは自分はユーリィのものであると言い切るチェリンカであるようにと願いながら。
'07/09/21