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ケンカ
リルティを見るとむずむずして仕方がないのは、自分たちだけではないとチェリンカは思っている。
まずあのすべすべして尚かつしっとりとした手触りの良い頭が心を惹きつけて止まない。そして誘惑に負けて触ると、嬉しそうに喜んでくれる。
喜んでくれるのも嬉しいが、その時後頭部高くにまとめられた髪がぴょこぴょこ動く姿が好きだ。まとめられたリルティの髪はまるで花のつぼみや葉っぱのようにも見えて、それがぷっくりとしたお尻と交互に右へ左へ揺れる。そのコミカルで可愛らしい動きを見ていると、自然とほっぺたが緩んでくる。
「……はぁ」
まさにその光景を目の当たりにしながら、チェリンカはため息を吐いた。うずうずと動く手をズボンの裾を握りしめることで何とか押さえつける。誘惑から目を逸らすためユーリィとミースを視界から外したが、ベンチに腰掛けている足が駆け寄っていきたいとリズムを刻んでいる。
「チェリンカも行けばいい」
「ナッシュ!」
背後からかけられた言葉に、チェリンカは声を上げた。彼が気配なく忍び寄ってくるのには最近ようやく慣れたが、今座っているベンチの後ろは泉だったので流石に驚いた。
クリスタルを中央に抱く泉の縁に立ちベンチの背もたれに肘をつきながら、ナッシュは振り返ったチェリンカの顔を覗き込む。
「触りたいんだろ?」
見透かされて、頬を赤らめながらチェリンカはぷいと顔を背けた。
「そ、そんなことないもん。だって――」
「"お姉ちゃん"だから」
チェリンカが言葉を紡ぎきる前に、その先をナッシュが口にする。びっくりして彼に視線を戻すと、ナッシュはにぃいと笑った。
「もうっ」
耳の裏まで熱くなっているのを自覚しながら、チェリンカは頬を膨らませた。悔しいのだか恥ずかしいのだか、よく分からない。しかも、その様子を見たナッシュが笑顔を深めるので、余計に紅潮してしまう。
「行けばいい。そうすれば、アルハナーレムに抱きつくの減るぞ」
「え?」
と、ナッシュはよく分からないことを口にした。何の関係があるのだろうと目を丸くすると、急に真顔になってチェリンカを見つめてくる。
「チェリンカ、ユーリィに対抗してアルハナーレムに抱きついてるように見える」
「そ、そんなこと――」
責めるような口調で告げられた言葉を慌てて否定しようとして、けれどチェリンカはその先を失った。思い返してみれば、確かにアルハナーレムに抱きつくことでうずうずする気持ちを誤魔化していたような気がする。彼に抱きつくこと自体大好きだが、もしかしたらそれで抱きつく回数も増えていたのかもしれない。
「あるのかな?」
顎に人差し指を当てて首を傾げると、ナッシュはまたにぃいと笑った。
「だろ? だから思う存分撫でろ」
そう笑いかけてくるナッシュに、チェリンカは唇を尖らせた。
「別にアルに抱きついたっていいでしょ」
さっきから見透かされてばかりで、なんだかすごく悔しい。
チェリンカのつんけんとした態度に、ナッシュも顔を顰める。
「む? だってチェリンカ、ユーリィにも抱きつく」
「弟だもん」
言い切ると、ナッシュは叫ぶように声を張り上げた。
「ズルい!」
「どうしてっ?」
つられてチェリンカも声を荒らげる。
そうしてしばし鼻先を突き合せてにらみ合っていたが、やがてナッシュはフイッと視線を逸らした。
「もういい」
吐き捨て、身体を翻しベンチの背もたれにどかりと座り込む。これ以上はもう答えてくれる気はなさそうだった。
「――――んもぅ」
ため息を一つ吐いて、チェリンカは振り向かないナッシュから目を逸らした。背中とにらめっこをしていても、苛々が募るばかりである。
ユーリィは相変わらずミースを撫でていたので、目のやり場を求めて反対側の住宅街方面へと身体ごと向き直る。
「あ!」
そして視線の先に見知った人影を見つけたので、チェリンカは思わず声を上げた。
「ん?」
その声に反応してナッシュがちらりと振り向いたが、チェリンカと目が合うとばつの悪そうな表情を浮かべてまたそっぽを向いてしまう。
「むぅ」
意地を張る彼に眉を顰めて、チェリンカは賑やかに騒ぐ彼らへと視線を戻した。
「アンタには"でりかしー"ってもんがないんでちか!」
「うるさいなあ。いいじゃないか。カエルやヘビの一匹や二匹ぐらい――」
飛び跳ねながら喚くリルティの少女を、セルキーの少年が肩を竦めながらいなしている。どうやら問題は、彼がどこかから持って帰ってきたおみやげらしい。
「十匹はいたわっ!」
怒鳴り、少女は少年に向けて跳び蹴りを放つが、慣れているのだろう、少年はひょいと身を竦めてそれを躱す。
「多い方が喜ぶと思ったんだよ」
「は虫類を喜ぶ女がどこにいるというでちか!」
少年の弁明をリルティの少女が切って捨てる。その叫びに、チェリンカは思わず視線を彷徨わせた。幼い頃よくユーリィと一緒にカエルやヘビで遊んでいたかな――そう頬を掻き、こちらを覗うナッシュの視線に気付いて慌てて居住まいを正した。
「だいたい姉御には花を摘んできたクセに、どうしてアタシにはは虫類なんでちか!」
そうこうしているうちにも、少女のじたばたと手足を動かしながらの抗議は続く。
「だって、なぁ……」
その声にセルキーの少年は、少し怪訝そうな表情を浮かべて黙り込む。
「――――お前、本当に女か?」
「アンタの目玉はどこについてるんじゃあっ!」
そして漏らされた言葉に、少女の怒りが爆発した。今度は避けるタイミングもなく渾身の頭突きがセルキーの少年を石畳へと沈めた。
少々痛そうではあるが微笑ましい二人のやり取りに、チェリンカは目を細める。
「どこからどう見ても女の子なのに」
少年の鈍さにそう微笑むと、呆れているとも馬鹿にしているともとれる何とも言えない声が降ってきた。
「ふーん」
「何よ」
ナッシュを見上げて赤い瞳を軽く睨む。が、もの言いたげな顔はまたすぐに逸らされた。
「別に」
どうもさっきからぎくしゃくして困る。いつものように真っ直ぐ見つめてこない彼にも苛立つが、とげとげしい態度を取ってしまう自分も嫌だ。チェリンカはナッシュに気付かれぬよう小さくため息を吐いた。
顔を上げると、身を起こした少年が仁王立ちの少女へと手を伸ばしているところだった。
「まあいいじゃないか。別に男でも女でもさ」
そう言って彼は、あのさわり心地の良さそうな頭をぽんぽんと優しく撫ぜる。
「そ、そんなことで、誤魔化されないんで――」
拗ねた様子で文句を言っているものの、彼女のお尻は嬉しそうにふりふりと動いている。
「――――――」
どうやら、彼らも目の毒だ。チェリンカは慌てて視線を彼らから逸らした。
「!」
「うっ」
そして巡らせた視線の先で、これまた顔見知りのリルティとばっちり目が合ってしまった。お尻に大きなつぎはぎをつけたそのリルティは、絡み合った視線にうめき声を上げる。おそらくチェリンカの様子をずっと見ていたのだろう。
「………………」
「――――――」
次のターゲットは自分かと身を竦ませるリルティに、チェリンカはベンチに座ったまま踞った。どうしよう、もう見ているだけで撫でたい――。
誘惑してくるおでこ、可愛らしく揺れる葉っぱのような髪を視界から外し、チェリンカは疼く自分を何とか押さえつける。
その様子があまりも憐憫を誘うものだったのだろうか。やがて、おずおずとした声が踞るチェリンカへとかかった。
「――――す、少しだけならいいですよ」
「本当にっ?」
顔を輝かせながら身体を起こすと、彼の人は戸惑いながらもしかしはっきりと頷いた。
「む?」
後ろでナッシュが不満げに呻く声がする。が、それどころではない。チェリンカは歩み寄ってくるリルティの頭へと期待に震える手を伸ばした。
なでなでなで。
しっとりとした手触りを確かめるように、差し出された頭を撫でる。ようやく感じることの出来た肌触りに身体が震えた。
撫でている内に、戸惑いを見せていたリルティは緊張の色を消していき、やがて耐えきれないといった様子で葉っぱのような髪とお尻を揺らしだした。
「……はぅ」
そして、思わず洩れてしまった声にびくりと震えて頬を赤らめる。
「はぁああ、可愛いぃぃい!」
慌てて両手で口を塞ぐその様子に心射貫かれて、チェリンカは思わずリルティに抱きついた。
「ちょ、ちょっと! あなたには恥じらいというものが――!」
腕の中でもぞもぞとリルティが動くが、そのぎこちない様子もまるでぬいぐるみが動いているようだ。女の子同士であることだし、チェリンカは彼女を抱き締める腕に力をこめた。
と、その様子を眺めていたらしいナッシュから、冷めた声が降ってくる。
「チェリンカ、そいつ男だぞ?」
「――――え?」
なんだか思いも寄らなかった言葉を聞いた気がする。頭が理解する前に、まず身体が動きを止める。
目を瞬かせるチェリンカに、さっきのチェリンカの言葉を借りるようにナッシュは続けた。
「どこからどう見ても」
恐る恐る身体を離すと、腕の中でリルティの彼女――いや、彼はチェリンカにゆっくりと頷きナッシュの言葉を肯定する。
「――――っっ!!」
そして、広場中にチェリンカの叫び声が響き渡った。
'07/10/02