Shima-shima


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仲直り

「……はぁ」

あてもなく彷徨いながら、チェリンカは何度目かのため息に肩を落とした。

空を見上げると、少し西に傾いてはいるもののまだ日は高い。アルハナーレムの用事は日暮れ頃に片付くと言っていたから、まだしばらくはここレベナ・テ・ラに滞在しなければならない。

けれど広場の真ん中で大声を上げてしまった身としては、非常に居たたまれなく身の置き場に困る。ナッシュとはなんだか険悪だし、ミースは任せるのですと言ってチェリンカが抱きついたリルティの青年――お年頃だったらしい彼に一緒に謝ってくれたまま、何故だか話し込んでしまっている。

「ユーリィについて行けば良かったかな?」

裏通りを歩きながら、チェリンカは廃墟の方角へと顔を向けた。アルハナーレムを待っている間、魔石とか捜してくるよ――と彼が街外れに向かったのは鐘一つ前。今ならまだ合流できるかも知れない。

そう考えて、けれどチェリンカは首を振った。ユーリィにも抱きつく――そう非難がましい目で唇を尖らせたナッシュの声が脳裏に蘇ったからだ。

「そんなに抱きついてないよぅー、だ」

なんだか意固地になって、記憶の中のナッシュと同じように唇を尖らせる。

そうやって彷徨っている内に、気付けば街を一周していた。裏路地を抜けたチェリンカの目の前に、またさっきの広場が開ける。

「どうしよう、もう帰っちゃおうかな?」

チェリンカは足を止めて、またため息を吐いた。

「ん?」

と、近くのベンチに見知った人影が二つ揺れているのに気付く。

「!」

それが、ナッシュとミースであるとワンテンポ遅れて気付いたチェリンカは、思わず近くの物陰に身を潜ませた。

「べ、別に隠れる必要はないんだけど――

二人――特にナッシュと顔を合わせづらいことをそう言い訳しながら、こっそり顔を覗かせる。

「……………………」

「……………………」

物陰から垣間見た二人は、会話をしていなかった。いや、多分そう表現するのは正しくない。

言葉こそ交わしていないが、ミースがえへんと尊大な態度を取ってみせれば、ナッシュはふてくされたようにそっぽを向いた。それに応えるようにミースは怪訝そうな表情を浮かべる。と、ナッシュはふんっと鼻を鳴らした。

――――――――

同じやり取りを、彼らが初めて顔を合わせたレラ・シエルでチェリンカは見たことがあった。そこでも彼らは一言も発さずに、意志を通じ合わせていた。

「……あ、れ?」

なんだか胸がちくんと痛んだ。彼らの声が自分には聞こえないことが、ひどく哀しい。

ガクガクと震える足腰をしかりつけて、チェリンカは手近な壁にもたれ掛かった。焦点の定まらない視界は揺れて、そうしないと立つことすらままならなかった。

またミースが表情を変える、とナッシュが何故だか衝撃を受けたような顔をする。その表情は哀しそうにも見えるが、相変わらずチェリンカには二人が何を言っているのか全然わからない。

「あ……」

突然、ナッシュがこちらに向けて踵を返したので、チェリンカは慌てた。

どこか他に隠れられる場所はないかと周囲を見回していると、今度はミースの声が聞こえてくる。

「ナッシュ!」

チェリンカにもわかる声で引き止められ、ナッシュがミースを振り返る。

その隙に、チェリンカはその場から逃げ出した。

どうしようもなく胸が痛かった。

何も考えず、ただひたすら彼らから遠ざかるように近くにあった階段を登り、曲がり角を曲がり、また走る。

そうやって、どれだけ走っただろう。むちゃくちゃな走りに息が上がってきた頃、ようやくチェリンカは足を止めた。

顔を上げるとそこは城の近くの高台で、路地の角から身を乗り出せば眼下に城下町の街並みを一望できた。けれど民家は少なく、店もモーグリ商会の店舗が一つあるだけで人気はない。唯一の人影である商会の店主も、商品の上で高いびきを上げていた。

ようやく気持ちが落ち着いてきて、チェリンカはその場に座り込んだ。そして見晴らしのよいその眺めに目を細める。

さわやかな風に吹かれて箱庭のような街並みを見つめていても、思い浮かぶのは先ほど目撃したナッシュとミースの事ばかりだった。ぼんやりと視線を送っていても、立ち並ぶ建物の中から広場を拾い上げては彼らがいた場所だと意識を引き戻される。

いけないいけないと頭を振って視線を巡らせば、セルキーの少年とリルティの少女がじゃれ合っていた路地裏が目に入る。彼らといいナッシュとミースといい、セルキーとリルティは相性が良いのだろうか――そう考えて、またナッシュたち思考が戻ってしまった自分に辟易する。

「……はぁ」

ため息を吐き、チェリンカは街並みから目を逸らした。そして、一つ下の階層から伸びている工房の外壁にもたれ掛かって、代わりに空を仰ぐ。

自分で自分がわからない。突然ナッシュたちから逃げ出したくなったり、逃げてきたのに気付けば彼らのことを考えていたり。気持ちの制御が出来ずに、ままならぬ自分に恐れを感じる。

目を閉じ、いつからだろうと反芻してみる。そして、多分ナッシュと険悪な雰囲気になってからだと思い当たった。

あの時意地を張らなければこんなやりきれない気持ちになることはなかったのだろうか、それともそもそもミースを撫でているユーリィを羨ましく思わなければ、いつものように楽しく1日を過ごせたのだろうか。後悔ばかりが浮かんでくる。

その後も、いくらナッシュと顔を合わせづらいからと言って、逃げる必要はなかったのだ。いや、そもそも隠れなければよかったのかもしれない。そうすれば、言葉無く通じ合える二人を見て、心を痛めることもなかった。

「どうして――?」

自分が心の醜い嫌な人間に思えてきて、チェリンカは唇を噛みしめた。まだ出会って日の浅いナッシュが、自分たちとうち解けるのは喜ばしいことなのに、何故こんな気持ちになるのだろう。

痛む胸を持て余し、滲みそうになる涙を堪えるために膝を抱えていると、すぐ隣で小さな声があがった。

「なぁーお」

顔を上げると、見覚えのあるぶち猫がチェリンカを見上げてきた。

「ナッシュの友だち?」

街へ来る度に彼が声をかけていた猫の一人にそっくりだと声をかけると、ぶち猫は肯定するようになぁおと短く鳴いた。

「そう言えば、キミもナッシュと話が出来るよね」

「なぅー」

チェリンカの手に気持ちよさそうに撫でられている猫にそう目を細める。ぶち猫はかけられた言葉にゴロゴロと喉を鳴らすが、具体的に彼が何を考えているのかチェリンカにはわからない。いや、"彼女"なのかもしれない。目の前にいる猫の性別すら自信が持てなかった。

「なぁあお」

気落ちしているのを感じ取ったのだろうか。猫がチェリンカに向けて声を上げる。

「ごめんね、わからないよ」

先ほど感じた疎外感をまた感じながら、チェリンカは首を振った。

猫はチェリンカの裾をちょいちょいと引っ張っていたが、やがてチェリンカの身体を踏み台に、塔のように伸びた工房の屋根へと駆け上がる。そして、おいでとばかりチェリンカを振り返って尻尾をくねらせた。

「なぁお」

「え、無理だよ」

立ち上がり猫のいる屋根を見上げるが、高さはチェリンカの背丈の優に倍はある。一応届かないかと飛び跳ねてみるが、煉瓦を積み上げた壁のとっかかりすら掴めなかった。

「なぁお」

しかしぶち猫はおいでとばかりまた鳴き声を上げる。

「うーん……」

見下ろしてくる青い瞳を見つめ返して、チェリンカは唸った。

どうすれば良いんだろう――

そう途方に暮れていると、突然ふわりと身体が浮いた。

「え?」

襲ってきた浮遊感に、一瞬頭の中が真っ白になる。誰かに抱き竦められ共に跳んだのだと気付いたのは、屋根の上に降ろされてからだった。心当たりは一人しかいない。

「ナッシュ!」

彼の名を呼びながら振り返ると、ナッシュは不思議そうに首を傾げた。

「乗りたいんじゃなかったのか?」

「そう、なんだけど――

返答に困ってチェリンカは俯いた。心の準備なく彼を目の当たりにして、最初に彼に張った意地だとかミースとの間に感じた薄暗い気持ちだとか、色んな感情が一度に押し寄せてくる。

だいたい、ナッシュの方はもういつも通り接してくれるのだろうか――。そう視線を落として、チェリンカは自分が彼の腕の中にいることをようやく自覚した。

「きゃあ!」

途端、心臓がドキドキと疾走し出す。なんだか凄く恥ずかしくてどうしようもなくて、はね除けようと腕をばたつかせたが、ナッシュは余計チェリンカを抱き締めてくる。

「危ない! 落ちる! 落ち着け、チェリンカ!」

押し当てられる胸板に動悸が止まらない。真っ赤になりながらあわてふためくと、突如耳元でナッシュが怒鳴った。

「ユーリィやアルハナーレムには抱きつくのに、オレはイヤかっ?」

「だって、ナッシュはユーリィともアルとも違うもん!」

見つめてくる赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返して、チェリンカも怒鳴る。わかって貰えなければ、早鐘を打つ胸が痛すぎてどうにかなりそうだ。

チェリンカの抗議に、腕の力は緩めないままナッシュが顔を顰める。

「なんだ! オレがヨソ者だからか?」

「違う、ナッシュは仲間だよ! でも…、違うけど――

強い口調に混じる一片の寂しさを感じ取って、チェリンカは慌てて声を上げた。けれど、自分の心を吐露するのが恥ずかしくて、その先を躊躇ってしまう。

「ドキドキ……する、から」

耳の裏まで真っ赤になりながらようやくの思いで呟くと、ナッシュが驚きに目を丸くした。

それから何故か嬉しそうににぃいと笑う。

「大丈夫だ、オレもドキドキ。だからおあいこ。二人でドキドキ、ならいいだろ?」

いいのかな――。なんだか言い包められてしまった気もするが、いつも通り笑ってくれたのが嬉しかったのもあって、気付けばチェリンカはナッシュの言葉に頷いていた。

そうして腕の中から逃れる機会を失ったので、チェリンカはナッシュに抱き締められたまま共に屋根の上に座り込んだ。

向き合い続けるのは恥ずかしかったので、身をよじって背を向ける。チェリンカの行動にナッシュは少しだけ眉を顰めたが、何も言わずしたいようにさせてくれた。

そうして、ナッシュに背中から抱き締められる形で、チェリンカは工房の屋根から見える景色に目を細めた。

青かった空は少しずつ夕焼けの色をその身に溶かし込んでいる。触れ合うナッシュの身体が相変わらず心臓の鼓動を早くして大変だったが、さっき一人で街を眺めた時に感じた陰鬱さは心から消えていた。

「ミースに怒られた。オレの態度、チェリンカ怒って当たり前だって」

足下にこの状況のきっかけになったぶち猫が寝ころんだので、もう…と笑いながらふくれたフリをしていると、しょんぼりとしたナッシュの声が降ってきた。

ナッシュはチェリンカの頭に顎を預け、ホッと安堵の息をつく。

「だから、嫌われたかと思った。そうじゃなくてよかった」

「………………」

独白のような台詞に反応していいのか迷っていると、顎を乗せたままナッシュは続けた。

「アルハナーレムやユーリィに抱きついて欲しくないの、オレのわがまま。だからオレが拗ねるの間違ってる」

チェリンカの視線の先で、回された手のひらや挟み込んでいる足先が何かを我慢するようにぴこぴこと揺れる。

揺れる手足に目を瞬かせていると、突然それが止まり、いつになく真剣な声が響いてきた。

「でも、オレじゃダメか?」

「え?」

上手く理解できずに聞き返す。返答は耳元すぐ近くから聞こえてきた。

「抱きつくの」

「え! だ、ダメッ!」

その内容と耳をくすぐるナッシュの吐息に、チェリンカは叫んだ。

それから、誤解のないように付け加える。

「だって、ど、ドキドキするから」

なるべく意識しないように努めている今でさえいっぱいいっぱいなのに、そんなこと考えるだけで卒倒しそうだ。

「二人でドキドキならいいって言ったろ?」

拒絶されてナッシュが唇を尖らせる。

「でも――

真っ赤になって言いよどんでいると、案外あっさりとナッシュは折れた。

「わかった、もう言わない。でも、しばらくこのままでいいか?」

「……うん」

代わりに出された条件に、チェリンカは小さく頷く。ナッシュの腕の中は凄くドキドキしてどうしていいのか困ってしまうけれど、でもきっと多分嫌じゃない。

それからしばらく、お互い話しかける話題もなく沈黙が続いた。急に静かになったので、髪の毛をなびかせる風の音すら大きく耳に響いてくる。

――――

そんな風の音に混じって聞こえてきた音に、チェリンカは心の中で声を上げた。

――――ドキドキしてる

背中を通じて触れ合っているナッシュの胸が、音と共に早くそして強い鼓動を伝えてきて、それがチェリンカの心臓と抜きつ抜かれつ追いかけっこをしている。

二人でドキドキ、ならいいだろ――そう笑ったナッシュの言葉を思い出し、チェリンカもはにかんだ。一緒にドキドキしていると思うと、少しくすぐったくて何だか嬉しくなってくる。

「なんだ、なんだ?」

心の中の声が聞こえたのだろうか。ナッシュが気恥ずかしそうな声を上げる。

それに応えるように、自分を抱き締める腕にそっと手を添えて、チェリンカは呟いた。

「ナッシュのことは嫌じゃないから、ね?」

「おう」

真っ赤になっているので振り返れなかったが、背中でナッシュが笑顔を浮かべているであろう事が声から窺える。

重ね合った身体の前と後ろで、ドキドキと早鐘を打つ鼓動がいつの間にかぴったりと重なっていた。

'07/10/03

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